「インカレで勝ちたい」そう思い始めたのは順天堂大学に入学する前だった。2019インカレロード美麻で武山さんが優勝したのをyoutubeのダイジェストで見た瞬間にこの舞台で勝ちたいとそう思った。
(その動画はこちら↓↓)
https://m.youtube.com/watch?v=6NGTN3tmPDE
インカレで勝って学生日本一になる。ただシンプルな憧れ。大学4年間をかけてインカレ優勝を成し遂げたいと、家の布団で寝っ転がりながら決意したのを今でも覚えている。
そんな思いを持って順天堂大学に入学し、生意気な自分は入学早々から「俺はインカレで勝ちたいです。勝ちます。」と先輩達にも楯突いて言い続けていた。当時の実力や練習を見ると、とても現実的では無かったけど、それでもその当時は自分なりに本気で勝つための練習を考えて、勝つビジョンを持って練習していた。何より周りに「俺はインカレで勝つことが夢なんかでは無くて目標です。」と言い切ることで自分の逃げ場を無くして追い込んでいたのも懐かしい。
1年生の逃げに入ったインカレ↓↓
結局1年生のインカレは逃げに乗った後、先頭でコーナーを攻めすぎて落車して途中棄権。それでも先頭でレースを出来たこと、転ばずに行けば最後勝負に絡めたのではという自信から、インカレの2週間後に行われる全日本学生選手権個人ロードレースでは勝てるんじゃないかと思っていた。
そして迎えた個人ロード。前半は先輩の園田さんが逃げに入り、その逃げが吸収されたカウンターで自分から攻撃。運良く数名での逃げが決まり、両脚を攣りながらも3位表彰台でゴール。勝てはしなかったものの、自分のやってきたことは間違っていなかったと、自分のやり方が正しいんだと天狗になった瞬間だった。笑
3位になった時↓↓
体重はおそらく62-3kg。今より4キロ軽い。
自分のやり方が正しいと、周りの話はあまり聞かなくなって、過度な食事制限と1度に長時間のトレーニングを繰り返し、オーバーワークに陥った1年生の冬と2年生の春。いや2回もかい。
更に2年生はオーバーワークから復帰してすぐ、5月末に落車に巻き込まれ、打ちどころ悪く鎖骨を折ってしまい、学連TT、個人ロード、全日本選手権の全てをDNS。当時は最高に仕上げたつもりだった鹿児島インカレも25位と箸にも棒にもかからなかった。JPROツアーに初挑戦した年でもあり、そのほとんどのレースをDNF。全く上手く行かなかった1年間を過ごした。
鹿児島インカレ
鹿児島インカレでは、同じレースを走っていた法政の塩谷選手が亡くなる事故が起こった。危険な競技であることはわかっていたつもりだったけど、同じレースで人が亡くなったという事実。塩谷選手とは面識があったわけではなかった。だけどあまりに悲しい現実にやり場のない気持ちがずっと消えなかった。この競技で絶対に死んではいけないと、強くそう思うようになった。改めて心からご冥福をお祈り致します。
迎えた3年。試行錯誤を繰り返し着実に力が付いてきたものの目立ったリザルトは出せなかった。インカレでは2週間前にコロナを患い、当日まで日に日に復調していったものの、力、展開共に勝負に敗れ8位でゴール。
美麻インカレ
そして2023年9月8日。忘れられない日。忘れてはいけない日。ツールド北海道第1ステージ、五十嵐さんが僕の目の前で亡くなってしまった。今も気持ちに整理なんか付いていない。整理が付く日なんて多分来ないんだと思う。あの日その瞬間を思い出して今でも何度も何度も涙が止まらない。何か出来なかったのか。五十嵐さんの思いは。だけどどんなに悔やんでも、巻き戻したくても、時間は巻き戻せない。これからの自分に何が出来るんだろう。自分が五十嵐さんだったらどうして欲しいと思うんだろう。俺だったら自分のせいで自転車を嫌いになんてならないで欲しい。もし挑戦したい思いがあるんだったら、全力で挑戦して欲しいと、きっとそう思った。五十嵐さんの最後を見届けた者として、五十嵐さんはどこかプロでやりたいと思っていた自分の背中を押してくれた。そこから競技に復帰すると決めた日。それはプロになると覚悟を決めた日にもなった。
これまで本当にありがとうございました。見守っていてください。
そしてとうとう迎えた4年。オフシーズンの取り組み方、トレーニングをまるっきり変え、ベースをはじめ大きな成長を遂げシーズンインを迎えることができた。シーズン前半ではJPROツアー真岡芳賀ロードレースで3位、全日本学生選手権個人ロードは2位。最後は敗れてしまいどちらも反省が多いレースではあるが、確実に勝利に近づいていると実感したレースだった。
JPT真岡芳賀ロード3位
全日本学生選手権個人ロード2位(前日に39度の高熱。らいとめ。許さない。)
2024シーズン、最もフォーカスしていたレースはインカレと全日本。その全日本選手権は序盤の目の前の落車に巻き込まれて終わってしまった。膝とメンタルが骨折してしまったが、水野監督の言葉のおかげで、インカレに向けて気持ち新たに準備を進めることが出来た。
夏の計1ヶ月にも及ぶ怒涛の合宿ラッシュを乗り越え、パフォーマンスは過去最高に。そして迎えたのは8/23インカレトラック、4kmTP。あら不思議、全く走れず仲間から千切れ撃沈。挙げ句ちいかわの様な声で「まってぇ、落としてぇ」と叫ぶ始末🤦入賞を狙えたタイムから外れに外れ、最初で最後の団抜きは9位で終えた。これは完全なる準備不足。トラックにもっと乗りましょう。
4kmTP
他大学の選手からも散々、戦犯だのロードもやばいんちゃうかなどブイブイ言われ、ちゃんと心に刺さりながらも、ロードの練習ではしっかりパフォーマンスを出せていたことが精神を保った。
そして延期開催されることになった群馬インカレの1週間前のJPROツアー新城ロードレース。インカレで勝つために金髪にして挑んだ。そんな思いとは裏腹に序盤でオーバーヒートしてしまい、即レースを終えてしまった。しかし自分のタイプと脚質を再認識するレースとなり、メンタルへのダメージはありつつも意味のあるものとなった。
蒲生さん心のフォローあざした。
そうしていよいよインカレロード。の4日前に見事に風邪を引き、大事な大会前絶対に風邪を引くというジンクスまで含めて完璧なコンディションでインカレロード当日を迎えることに。
さてここまで約2700文字。お付き合いいただき誠にありがとうございます。ようやく2024インカレロードの本題。レースレポートはこちらです。是非ご査収ください。
https://jicf.info/officials/8120
そうなんです。今回はレースレポートでは無くて、最後のインカレを迎えるまでの4年間をまとめたブログです。あ、じゃあ興味無いというそこのあなた、そんなこと言わずにあとちょっと最後まで読んでいってください。
インカレで勝つこと。自分の憧れでもあり、それは自分にとって恩返しのためにもなっていた。両親や彼女。順天ズのみんな。僕を育ててくれた彩湖のおじさんや荒川のおじさん、そして下総のおじさん達。レースを教えてくれた水野監督。JBCFへ挑戦するきっかけをくださったリンクビジョン山田監督。本当に数え切れない人達からの期待と応援に応えたくて、何としてもインカレで勝ちたかった。最後のスプリントは自分の実力なんかでは無くて、僕を応援している人、背中を押してくれた人がちょっと多かっただけ。この優勝はその全ての人への恩返し。この場を借りてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。
「勝って恩返し」
もし例え勝てなかったとしても、大学4年間という最高の青春を、信頼できる最高の同期と仲間達と共に過ごせた日々は本当に幸せだった。こんなわがままで散々なやつだったけど、同じ時間を共有してくれてありがとう。まだ半年あるけどね。笑
そして来年からは自分の限界に挑戦して行きます。自分はどこまで行けるのか。どんな景色を見ることが、見せることが出来るのか。どれだけ苦悩してもその経験は間違いなく人生の宝物になるはず。誰よりも楽しんでより多くの人に夢や感動を与えられる選手を目指して。
#これにて自転車競技青春編閉幕
#クサい文章もここまで
#これからも応援よろしくお願い致します
#家族にはまた心配をかけそうです
#必ず生きて家に帰ります